「拘束バンド」解散後の寺西憲二と御竿拓司、「菊富士ホテル」解散後の河野崇と渡辺潤に目黒嘉則を加えて結成されたバンド。
「はっぴいえんど」「ティン・パン・アレイ」 などを共通認識としつつ、寺西のこだわりだったスリーコードのシンプルなロックンロールをベースとしたサウンドを求めた。「自転車飛ばしてコンサート」「紅しょうが」などのオリジナルに加えて「めんたんぴん」「浅川マキ」などのカバーがレパートリー。
「最悶我」のラストコンサートが初出演。
ボーカル・ギターの寺西憲二は"田舎の校長先生"、ボーカル・ギターの河野崇は"昔の看護婦さん"、ギターの御竿拓司は"昔の小学生"、ベースの渡辺潤は"軍医"、ドラムの目黒嘉則は"木こり"という奇抜なコスプレで登場。
この時に上映されたプロモーションフィルムのために、コスプレでの「はとバス」江戸っ子ツアーが慣行された。
皇居前で騎馬警官に咎められたり、浅草観音裏の親父にゲートルの巻き方をご教授されたり、御竿くんが虫取りアミで浅草寺の鳩を捕まえようとしたり、この時の笑えるネタは尽きない。
最後の浅草でのステージで、鎌田博利のボーカルを中心にしたスタイルが出来つつあった。
RCの「ようこそ」もこの時にやっているし、明確に「解散」を宣言しているわけでもなかったため、その後必然的に「ばななちっぷふぁいと」の基本メンバーとなっていった。
▼コスプレでの初ステージ

▼コスプレでのはとバスツアー証拠写真。二重橋前にて。

▼メンバーの拡大。向かって左から寺西、河野、渡辺潤、目黒、御竿(麦わら帽子)。
御竿氏のうしろにいるのは当時バックステージを手伝っていた平野祐二で、河野脱退後にボーカルを担当する。

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